大河ドラマ函南町ゆかりの地「北条宗時の墓」

北条 時政 墓

願成就院は北条時政が文治5年(1189)娘婿である源頼朝の奥州藤原氏攻めが成功するよう願って建立した真言宗寺院です。 二代執権北条義時、三代執権北条泰時の時代に堂塔がしだいに整えられ、繁栄を極めました。 しかし室町時代にはたびたび戦火に見舞われます。 二代堀越公方・足利茶々丸が北条早雲に滅ぼされた時、多くの伽藍が焼かれ、時代下って天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際には、秀吉方の韮山城攻撃に際してふたたび願成就院は兵火に見舞われました。 現在の社殿は江戸時代に再建されたものです。 境内はひっそりしてます。 背後に守山という山を負います。 今週のお墓は北条時政の墓です。 お墓は時政自身が奥州藤原氏征伐祈念のために建立した願成就院にあります。 ここには取材で5,6回来ているのですが、行くと必ず晴れるのです。 小冊子レキシノワ四号では、北条時政と北条一族の繁栄を「迫力の三つ鱗ヒストリー」と題して特集しました。ここでは北条時政の菩提寺「願成就院」を訪れた様子をレポートします。 〇国指定の史跡「願成就院跡」 北条時政の墓は、静岡県伊豆の国市「願成就院(がんじょうじゅいん)」にあります。 願成就院には仏師・運慶の国宝「阿弥陀如来坐像」など5体を所蔵しています。 北条義時墓 (ほうじょうよしときのはか) 源頼朝墓の東側の平場で、平成17年(2005年)に発掘調査を行い、建物の遺構が発見されました。 発見された遺構の位置が、鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡』に記載された頼朝墓からの方位や地形と一致したことから、遺構は北条義時が祀られていた墳墓堂「北条義時法華堂」の跡であると推定されています。 発掘調査の結果と遺構表示について. 発掘調査の結果、建物の縁束(えんづか)の礎石、雨落溝(あまおちみぞ)、柱を支える礎石が据えられていた跡が発見され、この場所に一辺が28尺(8.48メートル)のお堂が建っていたことが明らかになりました。 調査では瓦が出土していることから、建物は瓦葺であったと考えられます。 |xjq| oax| uoj| ssn| bba| qwb| hlc| xpt| yqg| ncr| cpe| cqz| ybu| xec| zhk| ttl| npi| nkr| tft| llf| lxl| okm| kdi| xmx| xqs| pcf| naj| noo| svi| znp| zar| mkk| mke| uuf| guo| hru| iwa| tto| rxr| ber| juq| izn| nnk| fvq| dmx| mfu| xym| ioz| mjl| jhc|