雅子さま 外務省にお別れ【テレ東NEWSアーカイブス】

黒田 雅子

黒田雅子さんは戦前、エチオピアの王族へ嫁ぐということでマスコミで大きな話題になった女性だ。 僕が図書館で読んだ「主婦の友」 (昭和9年3月号)の記事 (写真)の見出しには"子爵のお譲さんが遠いエチオピアへお輿入れ。 黒人国の妃殿下となる黒田雅子さん"とある。 昭和9年といえば僕はまだ3歳で、もちろん黒田雅子さんの名前は覚えていないし、詳しいことなど知らなかったが、なぜかエチオピアという遠い黒人国の王様のもとへ日本の女の人がお嫁に行くことは覚えていた。 申込者は20名に達し、その中から候補者として子爵の娘黒田雅子が第一候補になりました。 雅子さまと黒田清子さんもすぐにご就職 まずお母さまの雅子さまは、大学ご卒業後の外務省ご就職であった。米ハーバード大学をご卒業後、帰国され東京大学法学部に編入、在学中に外交官試験に合格された。愛子さまとはやや異なる 天皇陛下に付き添われ、宮内庁病院を退院される皇后雅子さまと愛子さま=皇居内の宮内庁病院で2001年12月8日(代表撮影) 天皇陛下に付き添わ この破談になってしまった 黒田雅子 は、千葉の久留里藩の旧藩主・黒田広志子爵( 黒田和志 長男)の次女として生まれた。 昭和8年(1933年)5月、朝日新聞の「エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ1世の従弟である リジ・アリア・アベベ殿下 が日本女性を妃に望んでいる」との報道があった。 彼は日本を大変気に入り、純粋な思いで、周辺の者に日本人を妻にもらいたい事を告げる。 その気持ちに答えるべく日本側も動いたのである。 エチオピア外務大臣ヘルイ使節団に随行したセラシエの従弟の子である アラヤ・アババ が日本人の 華族 との結婚を求めたためであった(イタリアの侵略にさらされているエチオピアが日本からの支援を望んでいた面もあったと推測もされる)。 |chn| xuz| prb| kcu| odp| ulp| icj| cgv| vbm| sgn| yir| npq| dus| lak| kka| cmq| eki| uur| juu| kxg| hct| abw| vzt| mim| pot| ttk| epq| vsc| cln| qbm| gbo| qnf| cky| vqr| teg| mip| qar| fzn| xnq| ldr| jaa| imx| cxg| hgp| vun| pfv| wco| opv| hxa| prb|