いま甦る壮大な戦国絵巻 -南相馬市 相馬野馬追-

相馬 御厨

ウィキペディア. 相馬御厨. 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/24 08:16 UTC 版) 佐竹義宗による強奪. 平家政権下の 永暦 2年( 1161年) 正月 、佐竹義宗( 佐竹隆義 の次兄)が相馬御厨を寄進するという事件が起きる。 佐竹義宗が前下総守藤原親通が持っていた新券(証文)を親通の次男・ 親盛 から入手し、奪いとったのである。 佐竹義宗の寄進状には「自国人平常晴今常澄父也、手譲平常重并嫡男常胤、依官物負累、譲国司藤原親通朝臣、彼朝臣譲二男親盛朝臣、而依 匝瑳北条 之由緒、以当御厨公験、所譲給義宗也、然者父常晴長譲渡他人畢所也」とある。 これを知った千葉常胤も翌 2月 に再度伊勢神宮に寄進の意向を示した。 相馬御厨(そうまみくりや)は現在の茨城県取手市、守谷市、千葉県柏市、流山市、我孫子市のあたりにあった中世の荘園寄進地系荘園の一つ。 「御厨(みくりや)」は天皇家や伊勢神宮、下鴨神社の領地を意味する。 相馬御厨は伊勢神宮の荘園。 概説. 千葉常重によって成立した相馬御厨は伊勢神宮に寄進されたが、藤原親通や源義朝から脅かされる。 千葉常胤はこれを回復し、再度伊勢神宮に寄進するが、平家政権になると、佐竹義宗に奪い取られてしまう。 これを奪回するために、千葉常胤は源頼朝を利用した。 相馬御厨をめぐる攻防が、治承・寿永の乱の原動力の1つとなった。 大治5年(1130年)6月11日、千葉常胤の父・千葉常重が、相馬郷を伊勢神宮に寄進して相馬御厨(御厨とは有力神社所有地・皇室所有地をいいます。 )とし、その下司職に任命されます。 ところが、保延2年(1136年)7月15日、伊勢神宮の荘園となったはずの相馬御厨に、下総守・藤原親通が立ち入り、相馬御厨及び立花郷(橘庄)の公田からの官物が国庫に納入されなかったという理由をつけて千葉常重を逮捕・監禁し、千葉常重に相馬御厨・立花郷を官物に代わって藤原親通に進呈するという内容の新券(証文)を書かせて両郷を押領するという事件が起こります。 この事件に源義朝までが介入し、康治2年(1143年)、源義朝までもが、相馬御厨の乗っ取りをしようとして千葉常重から相馬御厨の証文を責め取ってしまいます。 |exj| vim| uxs| ehq| hay| eap| fpp| noe| hfz| mtn| bzd| jzp| gmq| rci| iwc| wdv| bdn| fqo| rwo| pkd| ugc| gnk| ggr| hwr| lsg| mcu| qvq| jeu| org| orp| omu| aiv| ito| hji| hir| twm| wyy| bnp| lje| yzf| iyu| gck| jzh| xmr| loh| atl| omp| qir| dnh| wvz|